自分の心が目に見えるものであったなら、言葉にしなくても伝わるものはあっただろうかとぼんやり考えていた。言葉は心を越えないという有名な歌があるけれど、年を重ねるにつれて、それがどういうことなのか、だんだん分かるようになってきた気がする。全身を巡る様々な思いは、人が未だ知らない方法でなければ、100%そのままの姿で伝わる事はないのかもしれない。心を変換するには、言葉はあまりにも少なすぎる。

近頃考えていることといえばこんなことです。もやもやしています。慢性的寂寥感。